SPORTS

盧珍圭(ノ・ジンギュ)の輝かしいプロフィールをWikiとして残し偉大なスピードスケート選手に黙祷

韓国のスピードスケート・ショートトラック選手の盧珍圭(ノ・ジンギュ Noh Jin-kyu)が、4月3日に亡くなりました。
まだ23歳の若さながらガンに倒れたのです。
正確には骨肉種に犯されたのでした。

若いゆえに進行が早く、どうにもならなかったのでしょう。

偉大なる世界レコードホルダーの活躍を後世に残すためにもWiki・プロフィールを作成し、黙祷したいと思います。

盧珍圭 Wiki風プロフィール

読み方は「ノジンギュ」といいます。
知らない方だと、ロチンケイと読んでしまいそうです。

生年月日は、1992年7月20日です。

2010年・ジュニア時代に総合優勝

2010年1月8日から10日まで、台湾はタイペイアリーナで開催された、2010世界ジュニアショートトラックスピードスケート選手権大会。

盧珍圭は17歳の時にその大会に出場し、見事総合優勝に輝いています。
距離は

  • 500m
  • 1000m
  • 1500m
  • 3000m

と4種目あったのですが、1000mと1500mの2種目で金メダルを獲得し、その結果総合優勝も勝ち取ったのです。

総合優勝を果たした盧珍圭のポイントは68ポイント。
総合準優勝者が63ポイント、総合3位が47ポイントでした。

2位に僅差で総合優勝を果たした盧珍圭は、翌年は成人の部にステップアップする事になります。

2011年・成人の部でも総合優勝

2011年3月11日と13日の2日間、イギリスはシェフィールドアリーナで開催された、2011世界ショートトラックスピードスケート選手権大会。
18歳となった盧珍圭はこの成人男子の部に出場、見事総合優勝したのです。

距離は

  • 500m
  • 1000m
  • 1500m
  • 3000m
  • 5000m

と5種目あったのですが、1000m、1500m、3000mの3種目で金メダルを獲得し、その結果総合優勝も勝ち取ったのです。

総合優勝を果たした盧珍圭のポイントが102ポイント。
総合準優勝者が50ポイント、総合3位が47ポイントという事を考えると、圧勝といってよいでしょう。

この1年間で急成長した、まさにスピードスケートショートトラックの天才です。

2011年3月19日:3000mの世界記録更新

成人の部でも総合優勝を飾ってからわずか数日後の2011年3月19日。
ポーランドの首都ワルシャワで行われた大会で、4分31秒891という3000mの世界記録を更新したのです。
この記録は今だ破られていません。

2011年12月10日:1500mの世界記録更新

 2011年12月10日に、中国は上海で開催された大会で、2分9秒041という1500mの世界記録を更新しました。
この記録も今だ破られていないのです。

2012年・総合準優勝

2012年3月9日と11日の2日間、中国は上海オリエンタルスポーツセンターで開催された、2012世界ショートトラックスピードスケート選手権大会。
19歳となった盧珍圭は連覇を狙って参戦しますが、惜しくも総合準優勝となったのでした。
とはいえ1500mでは金メダルを獲得しています。

翌年2013年9月に左肩に良性腫瘍があると診断される事になるのですが、総合準優勝にとどまってしまったのはその影響があったのかもしれません。

優秀な人材に黙祷

2014年2月のソチオリンピックのために、良性腫瘍の除去は先延ばしにしました。

しかしソチオリンピックを目前に控えた1月に、練習中の転倒により肘と肩を骨折するという大怪我に見舞われ、ソチオリンピックの選考リストから外れたのです。

肘と肩の手術をしなければならなくなったので、そのついでと言っては何ですが、その良性腫瘍を取り除こうとしました。
ところが実は肩に出来ていたのは5インチ(12~13cm)もある悪性腫瘍だと判明したのです。

その後の抗がん剤による治療も虚しく、帰らぬ人となったのです。

せめて腫瘍が発見された段階ですぐさま切除していれば、ソチオリンピックの出場は無理だったでしょうが命は繋がったかもしれません。

逆にせめて骨折しなければソチオリンピックに出場できていたでしょうから、人生に悔いは残らなかったでしょう。

どっち付かずの結果になってしまい、非常に残念です。

天は才能と長生きの二物は与えなかったという事でしょうか。
前途洋洋であったはずの若者に黙祷します。

ピックアップ記事

PAGE TOP