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名古屋女子大生誘拐事件をWikiとしてまとめ個人情報開示の危険性を啓蒙

1980年12月2日、愛知県名古屋市にある金城学院大学英文科3年生の女子大生 戸谷早百合さん(当時22)が誘拐される事件が発生しました。

名古屋女子大生誘拐事件と呼ばれるこの事件は、発生から51日目の翌年1981年1月20日に、被害者と全く面識の無かった寿司職人 木村修治(当時30歳)が逮捕されて解決しました。

逮捕の決め手となったのは、脅迫電話を録音した音声を公開した事により、似ている声の持ち主の情報が警察に寄せられたからです。
インターネットによって簡単に拡散される現代と似た様な仕組みで逮捕されたわけです。

そして誘拐されたきっかけとしては、家庭教師のバイトを始めるにあたり生徒募集のため、個人情報を新聞の告知欄に載せた事によって犯人に目を付けられたのです。
今や当たり前の様にSNSで個人情報を載せている時代ですが、その危険性を啓蒙するためにもこの名古屋女子大生誘拐事件をWikiとしてまとめる事にしました。

英語を教えるために新聞に個人情報を載せる

戸谷早百合さんは英文科に通っていた女子大生でしたので、英語が得意でした。
それを活かしたバイトをするため、中日新聞に、住所・氏名・大学名・電話番号を掲載したのです。
今では誰もそういう事をやっていませんが、当時は数千円でそういった掲載ができていたと記憶しています。
逆にそれ位しか情報発信の方法がなかったのです。

12月2日:誘拐したとの電話が鳴る

告知をしてから約2ヶ月が経った12月1日の夜、中1の子供を持つという父親と名乗る男性から、家庭教師の依頼の電話が鳴ったのでした。
この男性こそが、犯人の木村修治だったのです。

翌日12月2日に、戸谷早百合さんは自宅近くの公衆電話ボックスで木村修治と待ち合わせをしました。
それ以降戸谷早百合さんの消息は不明になるのです。

同日18時15分頃
「娘さんを預かっている」
との電話が鳴ったのです。

この時父親は不在で電話をとったのは早百合さんの弟さんでした。
父親が不在という旨を伝えると
「かけ直す」
と言い放ち、電話を切ったのです。

弟は即警察に通報。
同時に父親にも連絡し、大慌てで帰宅しました。

警察はマスコミに対し、早百合さんの安全を考えて一切の報道をしない様に要請しました。
そして戸谷家では警察が待機し、逆探知の準備をします。

2度目の電話が鳴ったのは21時23分でした。
そこでは3000万円の身代金を要求し、すぐさま電話は切られました。
通話時間が短過ぎて逆探知はできませんでした。

12月3日:3000万円の受け渡し

翌日12月3日 16時20分に5度目の電話が鳴り
「金は用意できたか?」
との連絡がありました。
お父様は

お金あげるから、娘返して。
声だけでも聞かせて

と懇願します。
早百合さんの母親は2年前に事故で亡くなっていたので、お父様にとっては子供だけが大切な家族なのです。

同日17時に、具体的な身代金受け渡し方法を指示する7回目の電話がありました。
「18時までに3000万円を持って蟹江インター近くの喫茶店に来い」
との事です。

18時19分に、父親と親族を装った捜査員の2人が喫茶店に入ります。
手には3000万円の身代金が入ったかばんを持っています。

その喫茶店に犯人からの電話が鳴り、親族を装った捜査員が対応します。

今から高速に乗れ。
東京方面に向かい2個目の電話ボックスに次の指示を書いたメモがある

お父様と捜査員は高速に乗りますが電話ボックスを探すのに手間取りました。
ようやく所定の電話ボックスに到着すると

ここから金を下に落とせ。
2つ先のサービスエリアに行け。
早百合はそこに行く。

という旨のメモがありました。

早百合さんの安否が分からない以上、今金を落とすのは危険と判断した捜査員は、その電話ボックスに犯人からの連絡があるのを待つ事にしました。
しかしいくら待っても犯人からの電話が鳴る事はなく、自宅へと引き返しました。

12月6日:28回目の電話

その後も犯人から身代金の受け渡し指示がありましたが、現場へ向かうも犯人と接触できない事が続きました。

そして12月6日 18時23分の28回目の電話をもって、犯人からの連絡は最後となったのでした。

何故この日を境に急に連絡が途絶えたのかというと、驚愕の理由があったのです!

12月26日:公開捜査に踏み切る

これまで早百合さんの安否のためにマスコミに報道規制をしていましがた、ついに公開捜査を開始したのです。
名古屋女子大生誘拐事件はありとあらゆるメディアで報道されました。
そして犯人の電話の声もテレビで公開しました。

間もなくテレビを見た視聴者から
「似ている声の人物がいる」
との情報が寄せられました。

その人物こそが、寿司店に勤める木村修治だったのです。

警察は店の得意先に協力を求め、木村修治の声の録音に成功します。
そして木村修治の声紋と、犯人からの電話の声紋が一致した事により、翌年1981年1月20日に任意同行を求めます。

木村修治は取調べで簡単に早百合さんを誘拐した事を認めたので、逮捕となったのです。

木村修治の生い立ち

定時制高校を中退した木村修治は、知人の紹介で寿司店に勤める事に。

よく手伝いに来ていた店主の娘と次第に惹かれあい、2年後に結婚し、店の近くに新居を構えました。
この店の近くというのが、木村修治にとっては不幸だったのです。

2人の子供にも恵まれ、幸せな家庭生活を送れると思っていたのですが、孫が可愛かったであろう店主夫妻はしょっちゅう新居を訪れたのです。
木村修治にとっては相当邪魔だったのでしょう。

店主は一刻も早く一人前になって欲しいという思いで木村修治に仕事を任せる事が多かったのです。
「位が人を作る」とよく言いますが、責任ある立場になった方が人は成長するのです。

ところが木村修治にとっては仕事を押し付けられたと思ったのでしょう。
給料制なのに仕事を押し付けられてはたまったものではないという思いもあったはずなので独立を考えます。
そうすれば家庭にも入ってこられないので、公私共に独立できますので。

その独立を妻に相談したところ、賛成してくれました。
ただ店主夫妻を踏まえての会議では
「そんな現実性の無い計画は駄目だ」
と反対されます。

まだ幼い子供2人がいる事を案じて心配してくれたのです。
そして店主の娘も、自分達を心配してくれるその意見に同調し
「確かにまだ早い」
と発言したのです。

旦那である自分より実の親の意見を重視する妻に対し、この後急速に愛情が冷めていったのです。

自分の周りは、自分に意見してくる妻の親族だらけ。
その様な状態を鬱陶しいと感じたのです。

同窓会で不倫し借金がかさむ

そんな矢先に木村修治は中学校の同窓会に出席し、それがきっかけで同級生の女性と深い仲になります。
そして何と金融業者から借金をしてまで、2人で住むためのアパートを借りたのです。

妻には仕事の都合で帰れないと嘘をいい、頻繁に同級生女性の住むアパートに入り浸りました。
さらに毎月生活費として20万円を渡していたのです。

それらは全て借金でまかなっていたのだと思われますが、その返済のために事もあろうかギャンブルにハマってしまいます。
当然マイナスになるわけでして、気付けば借金は2800万円にもなっていました。

毎月の返済額は80万円にもなり、厳しい取立てをされていましたが、義理の親(店主夫妻)及び妻には、まだ知られていませんでした。
おそらく同級生と住むアパートに取り立てが来ていたのではないでしょうか。

女子大生誘拐を思いつく

そんな木村修治が目にしたのが新聞告知欄での戸谷早百合さんのアルバイト募集です。
この女子大生を誘拐して身代金を奪えば借金を返済できるのではという、短絡的な思考で誘拐をしてしまったのです。

28度目の電話で連絡を断った理由

木村修治は、誘拐後に脅迫電話をかける事と平行して妻のいる新居にも連絡していました。
そこで思いがけない事を知ります。
何と借金返済を求める電話が新居にもかかってきていたのです。

最後の28度目の脅迫電話をかけた後に、その事を知ったのでしょう。

その夜に義理の親と妻とで会議が開かれます。
義理の父(店主)に土下座して謝り、借りた金額や利息の事を全て話しました。
ただし不倫の事は話しませんでした。

しかし義理の父は殴るどころか、借金を全て払ってくれる意を表したのです。
この事で木村修治は身代金を要求する理由は全く無くなったのです。
ただ、全て時遅しでした。
誘拐した12月2日に、戸谷早百合さんは亡くなっていたのでした。

個人情報の開示は慎重に

インターネット黎明期には、個人の名前を晒すという文化はほとんどありませんでした。
そしてネットの危険性を鑑みて個人情報保護法が施行されました。

ところがそういた時流に逆行するかのごとく、SNSやブログで個人情報をこれでもかと開示する流れが急激に進んでいる気がします。
自分の事を知ってほしい気持ちは分かりますが、危険性を含んでいる事はしっかりと認識しておく必要があります。

自分の個人情報を晒すのは大いに結構ですが、願わくば他人様の情報はアップしないでいただければと思います。

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