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【ナベツネ】渡邉恒雄が清原和博をdisらなければ逮捕されなかったかもしれない

読売新聞グループのドンであるナベツネこと渡邉恒雄(わたなべつねお)。
齢89にして、まだまだ健在であります。

そんなネベツネですがまさにワンマン社長ともいうべきスタイルで有名でして、有名な暴言の数々を吐いてきました。
そしてその暴言は、あの清原和博にさえも容赦なしに浴びせていたのでした。

これで勝利の要因が増えた

1997年に巨人入りを果たした清原和博選手。
しかしプレッシャーがあったのか不摂生がたたったのか、この年と翌年1998年には西武時代に巨人を苦しめた憎らしいほどの成績は修められませんでした。

そして1999年は開幕から怪我に悩まされ、自慢の本塁打はたった13本にとどまりました。
プロ入りした1986年から前年1988年までの連続13シーズン、20本以上の本塁打を放ったという記録はついにとだえたのです。

そしてシーズン途中で怪我で戦線離脱をした時にナベツネが言い放った言葉が

これで勝利の要因が増えた

です。

ただこの言葉は至極当然かもしれません。
1997年と1998年の2年の間、決して芳しくない成績だったうえに、1999年からは怪我だらけになったわけですから。
逆によくこの年までナベツネさんも我慢したものです。

巨人にいてもいいが他の人に迷惑をかけなければいい

そして清原が絶不調の時期に言い放った言葉が

巨人にいてもいいが他の人に迷惑をかけなければいい

です。

いつ言ったのかは失念しましたが、おそらく2000年以降の故障ばかりしていた時期に言ったのでしょう。
もはや期待どころか、迷惑さえかけなければいいよという言われ方をしています。

プレッシャーに負けて薬に走ったのか?

清原和博は巨人に入団してから薬物を使用し始めました。
おそらく巨人入団直後の不調時のプレッシャーに耐えられなかったのでしょう。

三振した時のお客さんのため息を聞くのが耐えられない

という旨の発言を知人にした事もあります。

そして前述の様に度重なる故障にみまわれた事が拍車をかけたのでしょう。

ピアスをしたり顔つきが凶暴になったりと何か変な違和感を感じたものでしたが、おそらく薬物にハマりだした頃なのでしょうね。

そして巨人のドンの渡邉恒雄さんにこれだけdisられたわけですから、なおさら薬物に依存したのではないでしょうか。

西武に入団した頃はオーナーから溺愛され駄目になっていた。
巨人では厳しい事を言われ、やはり駄目になっていった。

その中間の存在がちょうど良かったのかもしれません。

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